消費税増税問題をめぐる朝日新聞の社説と記事の相反についての弁解(2012/8/6朝刊)

 消費税増税問題をめぐる朝日新聞のありかたについて、多くの読者から、社説と記事の間の矛盾を問う声が寄せられたという。標題の特集は、これに対する弁解である。

 圧倒的に多数の国民(世論調査では8割ともいう)が消費税増税に反対ないし消極的な態度を示しているなかで、産経、日経はもちろん、朝日、読売、毎日などの日本における主要なメディアが何回も社説を掲げて消費税増税の必要をうたい、野田内閣を叱咤激励する有様は何とも異様であった。
 ところが同じ新聞にもかかわらず、例えば朝日新聞の解説記事や世論を拾う記事は、消費税増税がとりわけ低所得層の生活を破壊し、あるいは中小企業が増税分を転嫁できないために立ちゆかなくなる恐怖を如実に示すものであった。あるいは、これらの被害国民の救済のために軽減税率の必要を説く記事も取り上げられた。

 読者・国民がこの乖離に疑問を抱き、批判を寄せたのも当然である。

 朝日の弁明は、「多様な論点 伝え方模索」、「記者の意見、広く提示」、あるいは「考える材料を提供したい」などというものであった。

 興味深かったのは、そしておそらく真相の所在を見せたのは、論説委員室と記事を書く報道局(政治部、経済部、社会部など)は、別系統・別組織であってその間、紙面作りの強制や意見の統一を図ることになっていないという内部事情であった。論説主幹は、「論説委員は経験を積んだ専門性の高い記者の集まりだ。社説は朝日新聞の意見と思っていただいて構わない。」という。編成局長は、「論説主幹も言ったように、朝日新聞では社説は社としての主張ではあるが、個々の記者の取材や記事、論評をしばるものではない。社説の『論』とは別に、現実には政治の進め方はこれぢいのか、所得が低い人の負担増は大丈夫か、などの問題がある。消費増税が必要だから問題点を取材しない、書かないということはあり得ない。」という。

 結局、弁解は説得力を欠いた。

 メディア、とりわけ新聞の基本的なありかたはどうあるべきか。
 国民の主体的判断に資する多面的な真実の報道という見地が必要・十分であって、国民を一定の方向に誘導する(消費税増税を支持するなどの)観点や論調の展開は、結局国民に誤った選択を行わせることになると考えるべきである。新聞が、日中戦争や太平洋戦争において「太鼓叩いて笛吹いて」戦争をあおり、それを通じて政府・軍部の動向をさえ誘導する役割の一端をになったことはすでに歴史的事実として定着しているのではないか。
 平和、人権、原発、戦争などをめぐっても、隠されている事実と多くの国民の積極・消極の意見を公正に報道することによって、広い意味での啓蒙的役割を果たすことができるのではないか。

教育破壊を招く大阪市の校長公募制について

 私は、この愚挙について、どうしても俎上に載せなければいけないと思っていたが、碁にかまけ、日を過ごしてしまった。しかし、私の怒りをぶちまけ、また、わずかでもこのブログを読んでくれるかもしれない仲間のためにも文字にしなければならないと思い立った。
 そこで、今日、インターネットでいくつかの資料を集めた。
 
 最近の新聞によれば、大阪市教育委員会は、「市立学校活性化条例」に基づいて、小中学校の校長計約50人を公募するという。外部からは企業や行政機関の管理職経験者を求める、教員免許は不要、任期は来年4月から3年間とされる。

 「市立学校活性化条例」は、橋下市長が、「民意」をかざし、選挙で維新の会の協力を得たい公明党を取り込み、教育支配の意図に出た一連の教育関係条例の一つであるが、その第10条1項は、「校長の採用は、本市の職員に対する募集を含め、原則として公募により行うものとする。」と定める。
 大阪府は、すでに企業からの転身を受け入れている公募校長の前例があるが、府教委の期待は、民間企業における人事管理の手法を学校に生かすことにあったといわれる。
 大阪市における校長公募も同じ意図に出たものであることは、府知事としてこのような制度の導入を行ったのが橋下市長であったことから明白である。 
 しかし、府における公募校長が教育の向上・発展に成果をあげたという評判は伝わっていない。

しばしば指摘されるところであるが、フィンランドの教育制度や教育の実際は日本のそれと対極にある。橋下市長の校長公募制との関連で、校長に例を取る。
 橋下市長における校長は、企業や行政機関の管理職経験者で、教員免許は不要、任期は3年間とされる。
 フィンランドにおける校長は、学校経営にあたり、人事をはじめ組織管理を行う権限を有するのであるが、教職の資格と経験を有することが求められるだけでなく、大学で法律や経営について学び試験にパスする必要があるとされる。その管理の下にある教師が修士のレベルにあり、高い専門性を有するのであるから、校長は、教師の自主性・自立性を尊重しながら、これを管理するのであるから、みずからも高い専門性を有し幅広い能力を備えることが必要であることはきわめて当然な帰結である。
 橋本市長の公募にかかる校長は、企業や行政における管理能力を有することが求められるても、教員免許は不要とされるのであるから、教師の教育上の専門的な資質・能力や経験を評価したり、専門的な見地から教師をリードすることが出来ないことはこれもまたきわめて当然な帰結であろう。
 
 結局橋本市長のもとでの教育は、生徒に対して、もっぱら学力テストで高い点数を取ることが求められるにとどまり、真に人間的な資質を引きだし、高い教育を施すことは期待されない。
 校長公募制は、はしなくも、橋本市長自身の教育に関する視野の狭さ・浅さ、教育の分野に止まらない点数主義・競争主義を露呈する結果になっていると言えよう。

大阪AALA50周年記念に際して など

大阪AALA50周年を祝い、さらなる発展を祈念して

                               弁護士  小  林  保  夫

1 日本AALAが1955年(昭和30年)に設立されてから67年、大阪AALAの発足から、5 0年という。
  この間、世界は、多くの歴史的な曲折を経たが、アジア・アフリカ・ラテンアメリカは、それぞれ に着実に発展を見た。
私は、当初AA連帯委員会にとどまった組織が、世界の歴史的発展を踏まえ、とりわけラテンアメ リカに注目し、この地域の民衆のたたかいやこのたたかいとの連帯をみずからの課題として、AAに LAを加えて、AALA連帯委員会に組織の改組を行った先見の明を高く評価したい。
果たして、南アメリカ諸国は、今やアメリカの政治的・経済的支配を脱して、独立と主権の旗を高 く掲げ、再びはアメリカの支配を許さない確固たる地歩を築くに至っている。
おそらく南アメリカ諸国のたたかいは、その後チュニジアに始まり今に続く「アフリカ・中東の  春」と呼ばれる民衆のたたかいの昂揚にも大きな契機となったであろう。

2 私は、1977年(昭和52年)4月、多くのみなさんのカンパに支えられ、大阪AAから派遣さ れて、ポルトガルリスボンで開かれた「南アフリカアパルトヘイト(人種差別)・植民地主義に 反対する世界会議」に参加する機会を与えていただいた。この会議は、当時、アパルトヘイト政策と 呼ばれ、徹底的な黒人差別をくり広げていた南アメリカの白人政権に対する民衆のたたかいを支援す る国際会議として注目された。またこの会議がリスボンで開かれたのは、ポルトガルが、当時まで領 有していた海外の植民地をすべて解放した(解放せざるを得なかった)ことを記念する意味を有して いた。
会議は、盛会と成功を収め、その後のアパルトヘイト反対のたたかいの世界的な昂揚に寄与するも のとなった。
私は、このような歴史的なチャンスに際会することができたことを、リスボンの夜のもの悲しい  ファドのギターの響きに酔う機会に恵まれたことを含めて、今もって光栄に思い、またそれは私のな つかしい記憶となっている。
その後、私は、1996年(平成8年)4月、奇しくも、南アフリカ共和国ケープタウンで開かれ たIADL(国際民主法律家協会)の第14回総会に参加する機会を得た。 しかもそこで、私たち は、アパルトヘイト体制の打倒に成功し、ロペン島の監獄等での27年間にわたる投獄から解放さ  れ、1994年に同国の第8代大統領に選出されたネルソン・マンデラ氏に会い、その穏やかな弁舌 に接することができた。
その後の同国の変転や現状は、歴史の発展を確信させるととともに、その間の曲折を物語って感慨 深い。              2012年7月31日

あれこれ

 猛暑!たくさん仕事を持ち帰ったがまったく手がつかない。
 今日の新聞(朝日新聞赤旗)は、読みでのある記事が多かった。
 
 中国江蘇省南通市啓東で、王子製紙の工場からの排水管建設計画に、環境汚染を引きおこすとして反対する市民約1万人の抗議行動が、次第に過激化して、計画を承認した地元政府に矛先が向けられ、政府庁舎に乱入、幹部の部屋を荒らし、高給タバコや高級酒などを壊したという。政府・共産党の腐敗へ抗議。
 率直に言って、中国共産党の路線や活動を擁護する気分にならない。
 
 日本で、原発をなくすことを掲げた日本版「緑の党」の結成。どんな展開を見るか。大きな原発事故が起きた日本での旗揚げとして、ドイツなどヨーロッパでも注目されているという。
 辻本清美の民主党へのかつての期待と今日のありかたへの批判。感覚と視点が鋭いと思った。

 朝日の根本という編集委員が、原発廃止を求める市民の抗議集会・デモなどをめぐり、新しい政治のあり方を志向する直接民主主義を論ずる。マスコミまで昂揚を予感。
 政府や国会には期待できない、自分たちの手でという政治的気分が次第にこの国に広がりつつあるか。
29日反原発国会前集会は、警察発表では1万2000人という。明日赤旗でないと、正確な規模・人数はわからない。
  注記 30日付赤旗によれば、約20万人という。あちこちに集まり流れて行くので正確な数字の把握は難しいだろう 

 27日大阪市議会で橋下市長提案の大阪市職員の政治活動を徹底的に制限する条例が、維新の会、公明党自民党民主党の賛成で可決。勤務時間の内外を問わず、政党機関紙の配布、デモ行進の企画・援助、集会での意見表明、政治的目的を有する文書の発行や配布を禁止するもの。違反者については、懲戒免職を含む懲戒処分の対象とする。赤旗は、「歴史に逆行する暴挙」と批判する。
 公明党の犯罪的役割!!

猛暑 京都で41℃を記録!

 猛暑が続く。
 最近は、朝早く、ゴーヤ、きうり、庭木への水やりを日課にする。
 
 関西電力は、大飯原発を稼働させないとこの夏を乗り切れないという趣旨の談話を発表していたと記憶する。しかし、実際は原発の再稼働にねらいがあることが指摘されていたが、今やこの指摘が当たっていたことが明白になっている。
 関西電力は、大飯眼発の再稼働に成功するとただちに、何基もの火力発電所の発電を停止した。多奈川火力発電所はもともと稼働させていなかったという。
 関西電力は、原発を稼働させなくても対応できたのである。

 7月27日夕方の浪速区民センターでの原発問題の集会は、100人近くが集まり満席の盛況、講師の長尾さんのレジメも詳細かつ丁寧、話の内容もわかりやすく教えられた。原発で発電に使用する燃料のペレットの模型や能測定器を持ち込んでの説明も説得力があった。
 長尾さんがみずから総務省の白書を分析した結果によれば、日本の原発を含む発電所は、4641箇所で、最大出力2億8200万kw時、実際の年間平均稼働率はおよそ47%、フル稼働した場合の年間総出力・供給可能量は、2兆0181億kw時であるという。したがって、原発54基(年間発電量2882億kw時)をやめたとしても、その余の発電所稼働率を10%あげれば、原発分をカバーできるというのである。
 集会のあとの行進は失礼した。
 
 昨年、西成で医療生協が企画した同種の講演会は、京大の今中哲二さんという助教が講演をしたが、放射能汚染や被曝の程度についての基礎的な単位であるベクレルやシーベルトに関する説明もなく、しかも原発を維持するか廃棄するかは住民の選択の問題であるなどという時代遅れの提起であった。
 私は、日頃、講演をする際、中身が多岐にわたり、あるいは専門的な内容の場合は、聴衆の理解のために詳細なレジメを用意するのが誠実な対応だと思っているが、長尾さんの話は、準備も内容もきわめて適切であった。
 おそらく全国各地、津々浦々で、脱原発、自然・再生エネルギーをめぐる大小の講演会・学習会が取り組まれており、その結実の一つが、金曜日毎の首相官邸・国会前での集会・デモになり、さらには先日の17万人の大集会になっているのだろうと思う。明日、29日も大きな集会が全国的に予定されているという。

 毎日、中央では、野田首相の消費税増税案への執着、オスプレイでのアメリカへの無条件の追随、さらにはTPPの推進などにうんざりし、大阪では橋下市長の執拗な公務員・労働組合攻撃のニュースに明け暮れ、しかも連合系の市職員労働組合の橋下への屈服ぶりに呆れ、大津での中学生の自殺問題をめぐる教育現場の崩壊的状況を嘆く。
 公明党議席欲しさに出た橋下への無原則な迎合・追随が、橋下の民主主義・憲法破壊を助長する。 もし、橋下・維新の会がファッシズムに突き進むとすれば、公明党の役割は、歴史的な審判を受けるべく、そして万死に値するであろう。
 神奈川県警のある警察署の30代の5人の警察官が、カラオケの密室で、酔余、20代の女性警察官を呼び出し、衣服を脱がせ、男性警察官の衣服に着替えさせる、キスを強制するなどセクハラの限りを尽くしたという。しかも県警は、いったんは立件は難しいと判断したという(今日の新聞によれば、立件も視野に入れて捜査をすることになったという)。
 
 昂揚の予感はあるが、悲憤慷慨の日々である。
 

 
 
 

吉岡斉「脱原子力国家への道」を読む

 まだ50頁ほどしか進まない(パソコンの囲碁対局のせいである。何時囲碁依存症から抜け出すことができるであろうか)。
 しかし、プロローグと目次から、日米原子力同盟(原発・原爆を含む)の存在、日本とアメリカの原発をめぐる相互依存関係、そのため日本政府が脱原発をめざすことがきわめて困難とする指摘ははじめて目にするもので、新鮮であるが衝撃的である。自民党や野田政権が脱原発をめざすとして国民に偽りながら実際には、原子力固執する所以であるか。
 脱原発の運動の前途が平坦ではないことを知る。

福島第一原発復旧工事の作業員の携行する線量計に鉛カバー

 7月21日付の朝日新聞朝刊は、一面トップ記事として、福島第一原発の復旧工事現場で働く下請の作業員が会社役員から線量計に鉛カバーをつけるよう求められ、拒否すると就労を拒まれたという記事を載せた。会社役員と作業員のやりとりは、録音されていた。東電は知らないという。
 きわめて重大なニュースで、大スクープであろう。

 私は、かながね、現場作業員の被曝問題がどのように処理されているか危惧していたが、鉛カバーを装着することによって、被曝線量を過少に偽装しいるとは知らなかった。
 原発の処理の危険性、困難性について、またきわめて卑近で具体的な例証が付け加えられたことになろう。

 野田首相、東電の対応が注目される。