どうしても書いておくべきこと 昂揚の予感

 7月16日、大江健三郎さんら9人の呼びかけによる「さよなら原発10万人集会」は、東京で17万人(警察発表でさえ7万5000人という)、その他全国各地でこれに呼応する集会が行われ、その規模は安保以降かつてないものであった。
 この集会に先立ち、毎週金曜日の夕方は、首相官邸前にインターネットで知った人たちが集まり、その数は万を超えたことも報じられている。この集まりについても全国で、例えば大阪では関電本社の前で、大小は別として非組織的な参加者による集会が持たれたことが伝えられている。
 しかも参加者は、政党や労働組合、その他既存の団体・組織によって動員されたものではなく、新聞やインターネットで知り、どうしても脱原発の声をあげたいという一般市民であったことも報じられている。ちなみに政党や労働組合の旗がなかったことも特徴的であったという。
 マスコミも引き続く首相官邸前での集会を報じていたが、17日の集会については、朝日新聞神戸新聞も、社会面ながら写真付きで報道し、何人かの参加者へのインタビュー記事まで添えられていた。東京だけでなく、京都など全国各地からの参加者が紹介されていた。
 ドイツなど外国の新聞も、一般に大衆的な意思表示に乏しい日本での脱原発をめぐる新しい動きとして注目していることが伝えられている。

 脱原発をかかげた一連の市民的な行動の盛り上がりは、安保以来の規模であるが、いわゆる組織動員ではなく、自然発生的ではあるが、きわめて自覚的・意識的な参加であることが、大きな特徴であると観察される。
 地震津波の被害だけならば、いったん避難を余儀なくされた住民も、ふたたび郷里やわが家に戻り、家を再建し、土地を耕すことができる。しかし、原発の事故は、単純な地震津波とは異なり、いったん発生すれば深刻な放射能汚染をもたらし、広汎な地域を無人の死の土地と化し、多くの人たちのいのち・生存そのものを脅かす点で、取り返しのつかない異質の事故である。
 このような認識は、2011年3月11日以降、ますます多くの人たちに共通の認識になりつつあり、今後さらに広がるだろう。
 このような問題意識に支えられた市民の意思表示は、問題が、財産の消失などというレベルにとどまらず、いのち、生存そのものに関わるものであるから、どのような弾圧をもってしても、ついに抑止することができない性格を持つものである。
 
 こうして脱原発の行動は、いよいよ広がり、高まることを避けられない。
 昂揚の予感があり、しかもそれは、ついに原発の全面的な廃棄を達成するまで、収まらないであろう。
 しかも、国家や議会、政府など「代表」に委ねてはおけない、自分が直接声をあげなければ駄目だという意識は、脱原発に止まらず、私たちをとりまくいろいろな課題について、次第に多くの市民をとらえていくのではなかろうか。

 追記 7月20日夕方も、約9万人の人たちが国会前に集まったという。