教育破壊を招く大阪市の校長公募制について

 私は、この愚挙について、どうしても俎上に載せなければいけないと思っていたが、碁にかまけ、日を過ごしてしまった。しかし、私の怒りをぶちまけ、また、わずかでもこのブログを読んでくれるかもしれない仲間のためにも文字にしなければならないと思い立った。
 そこで、今日、インターネットでいくつかの資料を集めた。
 
 最近の新聞によれば、大阪市教育委員会は、「市立学校活性化条例」に基づいて、小中学校の校長計約50人を公募するという。外部からは企業や行政機関の管理職経験者を求める、教員免許は不要、任期は来年4月から3年間とされる。

 「市立学校活性化条例」は、橋下市長が、「民意」をかざし、選挙で維新の会の協力を得たい公明党を取り込み、教育支配の意図に出た一連の教育関係条例の一つであるが、その第10条1項は、「校長の採用は、本市の職員に対する募集を含め、原則として公募により行うものとする。」と定める。
 大阪府は、すでに企業からの転身を受け入れている公募校長の前例があるが、府教委の期待は、民間企業における人事管理の手法を学校に生かすことにあったといわれる。
 大阪市における校長公募も同じ意図に出たものであることは、府知事としてこのような制度の導入を行ったのが橋下市長であったことから明白である。 
 しかし、府における公募校長が教育の向上・発展に成果をあげたという評判は伝わっていない。

しばしば指摘されるところであるが、フィンランドの教育制度や教育の実際は日本のそれと対極にある。橋下市長の校長公募制との関連で、校長に例を取る。
 橋下市長における校長は、企業や行政機関の管理職経験者で、教員免許は不要、任期は3年間とされる。
 フィンランドにおける校長は、学校経営にあたり、人事をはじめ組織管理を行う権限を有するのであるが、教職の資格と経験を有することが求められるだけでなく、大学で法律や経営について学び試験にパスする必要があるとされる。その管理の下にある教師が修士のレベルにあり、高い専門性を有するのであるから、校長は、教師の自主性・自立性を尊重しながら、これを管理するのであるから、みずからも高い専門性を有し幅広い能力を備えることが必要であることはきわめて当然な帰結である。
 橋本市長の公募にかかる校長は、企業や行政における管理能力を有することが求められるても、教員免許は不要とされるのであるから、教師の教育上の専門的な資質・能力や経験を評価したり、専門的な見地から教師をリードすることが出来ないことはこれもまたきわめて当然な帰結であろう。
 
 結局橋本市長のもとでの教育は、生徒に対して、もっぱら学力テストで高い点数を取ることが求められるにとどまり、真に人間的な資質を引きだし、高い教育を施すことは期待されない。
 校長公募制は、はしなくも、橋本市長自身の教育に関する視野の狭さ・浅さ、教育の分野に止まらない点数主義・競争主義を露呈する結果になっていると言えよう。