「終戦 なぜ早く決められなかったのか」

NHK TV 8/15 「終戦 なぜ早く決められなかったのか」

アジア・太平洋戦争末期、天皇、政府、陸軍、海軍指導層は、迫り来る崩壊を前に、ついに戦争の終結を決断することができなかった。
 海軍は、開戦の当初からみずからに戦争を遂行する能力がなことを認識していた。陸軍は、精鋭を誇った関東軍が戦争能力を失ったことをひそかに天皇に告げていた。しかし、天皇の出席する御前会議では、誰も戦争の終結を提起する者はいなかった。
本土への空襲、沖縄での米軍の上陸、広島・長崎への原爆の投下、ソビエトの中立条約の破棄と滞日参戦ー戦争末期の短い期間に犠牲は累積した。
 にもかかわらず、このような犠牲が引き続く中で、なお、なぜ、終戦を決められなかったのか。
指導層のなかには、民衆の犠牲を回避することを提起する者はいなかった。ひたすら、「国体の護持」、天皇制の存続という難題の前に立ちすくんだのである。
 姜尚中さんが、「日本の指導層は、所詮官僚の限界を超えることができなかったのではにか」と述べていたが、説得的であった。軍部の最高責任者といえどもみずから責任を引き受ける勇気や矜持はなかったのである。
岡本行夫という外務省出身の外交評論家が、みずからを含む外務省が、長年にわたりアメリカに従属し日本の進路を歪めている責任を棚にあげて、当時の政府や軍部を非難するのには違和感を覚えた、というより醜悪に見えた。
 私は、さきに海軍軍令部に依った中堅幹部層が論じた「証言録海軍反省会」という著作を読んだが、そのなかで戦争時代の政治家や軍部が暗殺を恐れて、勇気のある発言や行動に出ることができなかったのではないかという趣旨の発言があったのを記憶しているが、たしかに陸軍の粛正を図った2・26事件は、太平洋戦争の開戦に先立つほんの5年前のことであった。おそらく当時の政治家・軍部の指導層は恐怖の記憶を鮮明に留めていたに違いない。