大阪AALA50周年記念に際して など

大阪AALA50周年を祝い、さらなる発展を祈念して

                               弁護士  小  林  保  夫

1 日本AALAが1955年(昭和30年)に設立されてから67年、大阪AALAの発足から、5 0年という。
  この間、世界は、多くの歴史的な曲折を経たが、アジア・アフリカ・ラテンアメリカは、それぞれ に着実に発展を見た。
私は、当初AA連帯委員会にとどまった組織が、世界の歴史的発展を踏まえ、とりわけラテンアメ リカに注目し、この地域の民衆のたたかいやこのたたかいとの連帯をみずからの課題として、AAに LAを加えて、AALA連帯委員会に組織の改組を行った先見の明を高く評価したい。
果たして、南アメリカ諸国は、今やアメリカの政治的・経済的支配を脱して、独立と主権の旗を高 く掲げ、再びはアメリカの支配を許さない確固たる地歩を築くに至っている。
おそらく南アメリカ諸国のたたかいは、その後チュニジアに始まり今に続く「アフリカ・中東の  春」と呼ばれる民衆のたたかいの昂揚にも大きな契機となったであろう。

2 私は、1977年(昭和52年)4月、多くのみなさんのカンパに支えられ、大阪AAから派遣さ れて、ポルトガルリスボンで開かれた「南アフリカアパルトヘイト(人種差別)・植民地主義に 反対する世界会議」に参加する機会を与えていただいた。この会議は、当時、アパルトヘイト政策と 呼ばれ、徹底的な黒人差別をくり広げていた南アメリカの白人政権に対する民衆のたたかいを支援す る国際会議として注目された。またこの会議がリスボンで開かれたのは、ポルトガルが、当時まで領 有していた海外の植民地をすべて解放した(解放せざるを得なかった)ことを記念する意味を有して いた。
会議は、盛会と成功を収め、その後のアパルトヘイト反対のたたかいの世界的な昂揚に寄与するも のとなった。
私は、このような歴史的なチャンスに際会することができたことを、リスボンの夜のもの悲しい  ファドのギターの響きに酔う機会に恵まれたことを含めて、今もって光栄に思い、またそれは私のな つかしい記憶となっている。
その後、私は、1996年(平成8年)4月、奇しくも、南アフリカ共和国ケープタウンで開かれ たIADL(国際民主法律家協会)の第14回総会に参加する機会を得た。 しかもそこで、私たち は、アパルトヘイト体制の打倒に成功し、ロペン島の監獄等での27年間にわたる投獄から解放さ  れ、1994年に同国の第8代大統領に選出されたネルソン・マンデラ氏に会い、その穏やかな弁舌 に接することができた。
その後の同国の変転や現状は、歴史の発展を確信させるととともに、その間の曲折を物語って感慨 深い。              2012年7月31日